つばきろく

日常生活の記録と感じたことのメモ

終了、休憩

昨夜重い書類の提出が終わり、小休止です。
今日は休講のため、時間を気にせず活動できます。


腰の方は、関節の負担を筋肉がカバーしたようで、関節自体は無傷だったそうです。鍛えていてよかった、衰えていなくてよかった。
まだ経過観察中ですので派手に動けませんが、完治したら軽くトレーニングを再開しようと決意しました。



明日は仕事がないため久しぶりにプライベートの予定を入れたので鵜が、待ち合わせの連絡がこなくてじりじりしています。こんな時間に待っていても仕方がありませんが、起きる時間など諸々考えると居ても立っても居られない性分で。
約束が流れるのはいいけれども、直前までわからなくて、時間があったらしたかったことができずに時間が流れていくのはちょっと残念に思ったりします。


弟曰く、こういう性分は第一子の特徴だとか。きっとテレビで見聞きした情報でしょうから、真偽はわかりませんけれど。案外合っているような気もします。


約束がつぶれたら一日使って心置きなく授業準備ができるのでありがたくもあるのですけど、たまには仕事以外のことにも触れていないと、「教育関係者は世間知らず」と言われるような気がして。


少し仮眠をとって、連絡を待ちます。

ぎっくり腰・・・未遂

腰に不安を痛みを抱えて早5年。
ついに腰をやってしまいました。


昨夜、自宅の掃除をしていて、ベッドをちょっと動かそうとしゃがんだ姿勢のまま後方へ力をかけたところ、腰のあたりでパキッというかカコンというか、若い竹を折ったような音がして、そのまま力が抜け、その場に座り込んでしまいました。
貧血のように視界が白くぼけ、音が遠のいていき、内心焦りを感じつつも安静にしていたら徐々に回復し、数分後には五感は正常に。


そこからは背を丸めても痛く反っても痛く、安全な角度でも違和感があり、翌日の仕事後に病院へ駆け込むかすぐに救急に駆け込むか悩むこと10分。非常勤講師である自分ごときには自身の体調不良で仕事を休むという選択肢はありません。
10分悩めるぐらいなら平気だと判断し、腰の角度、力を入れる方向に注意しながら掃除の続きをして、就寝しました。
この就寝がこれまた戦いで、寝返りは痛い、うつ伏せ、あおむけは20分が限界という状態でした。
過去ひどいときにも、うつ伏せ、あおむけで背骨全体が痛むという症状は経験済みですが、今回のは疲労やゆがみなんて生ぬるいものではないと本能的に感じました。


構造的ダメージというか、本当に二度と立ち上がれないんじゃないかと。


また不思議なことに、痛い角度とは別に、動けなくなる角度というのがありまして。
ブロックがうまく噛み合うような感触で、関節がはまると痛くはないものの、自力では角度を変えられず、壁や机に手をついて「外す」イメージで動くと元に戻るという。


今朝起きても状況は変わらず、念のためネットで調べたところぎっくり腰は冷やせとあったので、保冷剤で冷やし、出勤しました。今日一日はこれが終われば病院に行ける、痛みから解放されるということに望みをかけ、働いてまいりました。


ところがこんな時に限ってさくっと帰れないのが自分の職場でして。
腰を痛めたという話も、この後病院に行こうと思っているという話もした上で返してもらえず、無情にも診察受付時間は過ぎ去りました。


声が出るほど痛むことはなくなったものの、まだ違和感は取れず、寝起きに支障が感じられるため、明日こそは、朝一で行ってまいります。

人間関係

年末年始で一番苦しいのが同窓会というやつです。
今回も何件かお誘いいただきましたがすべてお断りしました。というか、お誘いに気が付いたのが会の後でした。


自分は実家に帰るのが盆正月のみ、加えて実家には1日足らずの滞在ですぐに親戚の家へ行く慣習のため、物理的に都合が合ったことがありません。
正直、今は仮に都合がよくても参加はしませんが、一度だけ同窓会なるものに参加したことがあります。


実家を出たあと初めて行われ、参加した中学時代の同級との同窓会。高校から離れた人、大学進学で離れた人、様々いましたが、何を話せばよいかわかりませんでした。
こんな自分も学生の頃、実家を出る前は将来同窓会で思い出話をするのだろうと思っていました。ドラマ等で見る同窓会では離れた分だけ情報のギャップがあり、近況を話し、学生時代の懐かしい話をし、楽しそうだと思っていたのです。


実際は、元来薄情な自分ですので、中学が同じだからといって大して懐かしく感じませんでした。
中学時代別段仲良くなかった人の近況を聞いて何も感じず、中学時代仲良かった人の近況を聞いて何も感じず、今の自分の近況を聞かれて話すも、内心何が面白いんだと思い。。


それ以来すべての集まりを断っています。
苦楽を共にした部活のメンバーなら、と思ったこともありました。しかし、学生時代は思いをともにしていましたが、今は一切の共通点がないわけです。お互い部活を続けていれば違うのでしょうが、そのような人もいないわけで。


我ながら薄情すぎると思いますが、一方で同じ中学だったというだけでなぜ関係をつづけなければならないのだと思う自分もいます。お互いそれが心地よい人同士ですればよい話で、嫌な人は参加しない方が害がないだろうと。


大学院で同級だった人とは今でも数か月に一度会いますが、こちらは確かに友人だと感じています。互いに同じ意思のもと、同じ大学院で会い、議論を重ねた中なので、今でも誰に頼まれたわけでもない議論を重ねています。
学生に話すとそれは友人じゃないと言われますが、そんなもの、他人が規定できることではないのです。


自分の両親はそんな自分を大変心配しております。
弟は何の疑問もなく楽しんで同窓会に参加するタイプなので、その対比でなおさら。


偏屈な自分に時間を割いてくれる偏屈な友人といて、誰も不幸せでないのだからほっておいてほしい。と大きな声で言いたい。