つばきろく

日常生活の記録と感じたことのメモ

人を評価すること

自分は過去、家庭教師で何件ものお宅を回った経験があります。塾でもアルバイトをしていました。
教育関係の職についていて一番思うのは、教育者の見るべきは誰かということ。ただ、現職についてはありがたいことに、この件であまり悩まずに済んでいます。


大学、専門学校は比較的学生自身にフォーカスして接することができます。正直、中には高校の延長のような学校もありますが、まだまだましです。
一番つらいのは、子どもが見かけの被教育者であるとき。家庭教師や塾です。おそらく小中学校の先生方も同じか、もっとつらいお気持ちだと思います。


塾や家庭教師で自分が当たるのは「優等生」とは言われない子たちでした。これはコーディネートする管理者の采配によるものですので、私自身が選んだわけではありません。ご家庭からの要望も多少関係するらしいですが。


塾や家庭教師に任せようというとき、保護者の方の多くは学力向上を目的にしていらっしゃると思います。それから、ほとんどはご家庭の力だけでは勉強をさせられない場合であると思います。だから、部外者である我々に依頼する。


雇われる側で言うのもなんですが、この時点でいろいろな疑問を持っていました。


まず、勉強とは何か、学力とは何か。
学校のテストで点数が上がるといいますが、1学期と2学期で同じ問題を出しているのでしょうか。範囲も違い、平均点も点数のばらつきも違うのに、安易に「〇点UP」「〇位UP」などと宣伝しています。大変ナンセンスであるのにもかかわらず。
集団準拠で考えているのだろうと思いますが、正直学校の到達テストの質すら良いとは言えない場合もあるでしょう。


自分は高校のときに高校のテストとは何を測っているのか考え、その結果を学力だと認識するのがばかばかしいと感じたため、大学では教育とは何を目指すものか考えようと教育系に進みました。
その結果感じたのは、こんなにも評価することは難しいのに、教育側はなんとなく評価し、被教育側はなんとなくその結果を見て、全体としてなんとなく評価を利用しているということです。


皆がその評価の良さと限界を理解しているのなら何の文句もありません。1学期に平均70点の中80点をとってクラスで5番なのと、2学期に平均65点の中80点をとってクラスで7版なのと、どちらが優れているのか?判断するためにはどんな情報が必要なのか?
テストを作る人も受ける人も見る人も知らずにすぎていくのです。


自分は心理統計学なんて専門ではありません。それでも、これは心理統計学が悪いのではなく、利用者の無知、無関心からくる問題であるとわかります。
難しいからわからない、で済まされるのは何も関係がない人。少なくとも評価をする側は理解しなければならないし、見る側がわからない場合には説明できなければと思うのです。


学校で評価をするタイミングでは、いつももやもやとします。
0点は能力がないことではなく、テストで測れるラインにいないことを指します。極端に言えば100点の人と同じです。
何度、何年抗議しても、説明しても、いまだわかってもらう域には達していません。わかってもらうための例え話のストックは増えていく一方です。


学問の恩恵が我々市井の者まで下りて来る時代になるよう、不当な評価が行われることがなくなるよう、切に祈るばかりです。

脱非常勤?

先日、非常勤先でコマ数が減りそうなので新しい非常勤先の面接を受けてきました。自分は非常勤として応募したつもりが、先方は常勤でどうか、と。
常勤と言っても年契約ですので、安定はしないのですが。。。非常勤だと実質半年契約なので、少しはよくなります。また、月給制というのはありがたい。
とはいえ、今持っている非常勤との兼ね合いもあり、面接では今後その線もあるかも、という程度でお断りしました。


しかし、ここ数日間で常勤への気持ちが少しずつ大きくなってきています。
このまま非常勤でいつ切られるかわからない生活をするのか?(ただしこれは常勤でも同じ)授業の少ない7~9月、12~1月、3,4月を不安で過ごすのか?何年続けても同じ給料でただただ履歴書の行数を増やしていくのか?


他の業界の友人は「転職」ですが、自分の場合は場所をうつるだけ。給料も変わらず、待遇も変わらず、動いた分だけ給料が発生します。
やっていて楽しくないことはない。ただし、学生が毎年変わるため、年数を重ねても同じことを繰り返すわけではなく、自分のスキルを重ねているとは言えない。まあこれは考えようで、経験を重ねれば経験知である程度の範囲への対応力が付くともいえる。
関連資格もなく、スキルアップはない。


業界的に人材不足のため、資格条件緩和が起こり、経験の浅い安価な教員の大量投入、それに伴った業界全体での給料相場の低下。新しい職場では教育関係にあるまじき給料が当たり前のように提示されています。


教育は崇高だから高い給料を、というわけではないのです。授業準備もあります。テスト作成やフィードバック、教材研究、教材作成、その他色々を考えると最低賃金を割ります。
割に合わないと思う先生は手を抜き始めます。給料をもらっているのは授業時間だけだからと教材研究をしない先生すらいます。


自分は好きなので仕事でなくとも授業準備はしてしまいますが、それはそれで価格崩壊の一端を担っているようにも思うのです。




ともかく、常勤への迷いは強くなっています。
決めるなら2月までに。現在の仕事も整理して、ということになります。
先方のお考えも聞かなければわかりませんので、再度常勤での採用も視野に入れて面接をしていただけるよう、連絡をしてみようと思います。

食器を洗いながらふと思うこと 2

大学を出てすこししたころから母が優しくなりました。
それまではややヒステリックというか、もともと子供っぽい人なので、気分や機嫌で子供に当たるような節もありました。自分は大学時代、実家に帰ったときに何度か弟をかばうというか、代わりに抗議したような記憶もあります。
その後、更年期でそれまでとは少し質の違うヒステリーが始まるようになったのですが、そのころから、自分から見ると「良い母親」に見せようとし始めたように感じます。よく言えば優しくなった。


LINEで体を気遣う、欲しいものはないかと尋ねる、仕事等を頑張っていると労わる等。自分は返信しないか、Yes,Noを返すか、という程度ですが


きっとこれらは本心なのでしょう。わかりません。自分がそれまで知っていた母はそんなことを言いませんでした。
ケチをつける/助言・注意する、嫌味を言う/からかう、余計なお世話を働く/世話を焼くの連続でした。前者は私の主観、後者は母の心づもりなのでしょう。


正直、高校の中ごろから接触がほとんどなくなった、さらに今は実家を出てかなり時間が経っている自分にとって、それ以前の記憶とも違う態度の母親は知らない人も同然に感じます。
仕事で知り合った母と同じ年の女性、ぐらいにしか感じないのです。


そんなふうに感じているのに、世にいう母親のような世話焼きをしようとしてくるのですから、違和感はぬぐえません。


働きながら家事をして、子供の面倒を見て、すごいと思います。ただ、それだけです。


きっと、母に優しくしてほしかったのは過去の自分で会って、今の自分に優しくされたところでそのころの自分は嬉しくもなんともないわけです。
過去は取り戻せないのだから、と、あたかも今までもそうだったようにふるまわれることに自分が拗ねているだけのように感じます。


何歳になっても親に対しては子どもなのだなあと実感しました。
全て風邪の間ためていた食器を洗っている時の徒然なることです。